技術でみる音楽史 part6 ジャズ編
前回、20世紀編と銘打ってクラシック方面から発展した現代音楽というジャンルについて書きました。
今回は、同じくらいの時代にもっと大衆向けとして親しまれていたジャズについての解説です。
といっても、ジャズというジャンルも目まぐるしく発展していったので取り上げるべき項目が多いので、何回かに分けて書くことになるかと思います。
さてさて。この記事を書くにあたって、どこから切り込んでいっていいものやら…と長い間考えていました。 というのも、『技術でみる』とタイトルにつけているのに、これは技術的な革新!というのがあまりなく…。 とりわけ黎明期に関しては、技術でみると19世紀以前の音楽と大差がないのです。 そのあたりから話を進めていくことにしましょう。 ・黎明期編 (1910~1930年くらい) ジャズというジャンルがいつ、どの時代に始まって形になったのか、ハッキリとした話はわかっていません。 一応ブルースであったり、黒人たちの労働歌であったり…といったものが背景にはあるようです。 場所はアメリカ。 おそらく黒人ミュージシャンが白人の楽器と曲を演奏し始めたのがきっかけではないかと思っています。 というのも黎明期のジャズは曲を見ると、前の時代のクラシックの要素が多く含まれています。 前々回や前回の話では、ドミナント・モーションという動きを複雑にすることで、ロマン派の音楽は調性が曖昧になり、結果として無調が誕生…という話でしたが、 黎明期ジャズでは、調性が曖昧になる以前の古典派の作りに近い、誤解を恐れずに言うのならばロマン派よりも"簡素な"構造になっていました。 ただし、それまでの音楽とは異なる点がありました。 白人の築いてきたメロディ感、リズム感、ハーモニー感とは異なる、黒人の感性からみたメロディ感、リズム感、ハーモニー感のスパイスが加わったためです。 例えばブルーノートのようなメロディ感。今現在のブルーノートやブルースケールとして定着しているものは無理矢理12音に当てはめたもので、 本来は3番目の音(ドレミファソでいうとミの音)がメジャーとマイナーの中間のような、曖昧な音程なのです。 リズム感に関しても同じく、詳しく説明しようとするとクッソ長くなるので省きますが、 黒人のもっていた土着のリズム感だけでなく、言語感、言葉のリズム、黒人訛りなんかが、従来の"簡素な"構造にスパイスとなって加わりました。 まとめると、ジャズは黒人の持っていた感性そのものでもなく、白人の音楽スタイルでもなく、両方がアメリカナイズされて出来上がったものといえます。 で…まあ正直このあたりは…自分、解説放棄いいっすか…。 というのも、お話している黎明期である1910年~1930年あたりは、アパルトヘイトであったり、禁酒法だったり、 あまりに激動の時代ゆえ音楽以外からの影響の要素が強く、 中身については「ロマン派ほど複雑な要素はなかったよ。」程度なので、 ぶっちゃけあんまり解説する要素がねぇ!!と乱暴にぶん投げて次に行くことにします。 ・スウィング編 (1930~1940年代くらい) さてさて、雑にぶん投げた黎明期編とはうって変わって、スウィング・ジャズ編。 たぶんこれが一番知られていると思います。 というのも、ジャズという存在が流行して当時のポップスになったのはこのあたり時代。 禁酒法とかマフィア全盛期のあたりの音楽っていうとイメージしやすいですね。 黎明期のジャズが発展して、演奏の場も酒場からダンスホールへ。それに伴ってバンドの編成も大人数へ。 レコードやラジオの普及もジャズの流行には一役買いました。 そうしてジャズはダンスミュージックとしての市民権を得ます。 こんな感じの、おなじみのやつ。 もしくはちょっと小編成だけどこんな感じのやつ。 この頃から、本格的に作曲に力が入り始めます。 ていうのも、演奏する人数が増えるとごまかしが利かず、きちんと書かねばならないわけで。 ということで、本格的に作曲家やアレンジャー勢による音楽理論の導入が行われ始めます。 黎明期のジャズに比べ、曲も複雑になっていきました。 遠くの調への転調をしたり、他の調から和音を借りてきたり。 つまりは構造的にはロマン派の前期あたりと近い構造になっているわけです。 一方で、少し戻って1920年代の半ば頃。 クラシック方面に少し目を向けます。 伝統的なオーケストラ編成という分野からのアプローチがありました。 それは、ジョージ・ガーシュウィンという作曲家。 彡(゚)(゚)「最近、えらく忙しくてあかんわ…息抜きにビリヤード場でもいくか…。」 ~ビリヤード場~ 彡()()「ファッ!?ビリヤード場で新聞読んだら、今度の演奏会向けにワイが曲作ることになってるやんけ!」 (´・ω・`)「もう新聞記事にしちゃったからお願いね。」 彡(●)(●)「勝手に記事にしておいてふざけんな!」 (´・ω・`)「ガーシュウィン様、逃げてはダメですよ?」 彡()()「あかん…あと2週間しかない…。『新しい音楽』という題のコンサートだから画期的な試みもせなあかん…。」 彡(-)(-)「なにか…なにかいいアイデアはないか…。なにか…なにか…」 彡(-)(゚)「…ん?」 ガーシュインはひらめきました。 彡(^)(^)「おっ、ジャズええやん。オーケストラに取り込んだろ!」 こうしてガーシュウィンはクラシックのオーケストラの中にジャズの要素を取り込みます。 Rhapsody in Blue(George Gershwin) この曲も聴いたことがある人は多いのではないかと思います。 そんなこんなで、クラシック的要素を持つジャズが、クラシックへの逆輸入という形でポピュラーな形式のオーケストラが誕生しました。 さてさて。話は戻ってジャズ。 1950年代あたりから、『大編成のビッグバンド』『ソロよりも全体重視』のスウイング・ジャズとはうって変わって『小編成』『ソロ重視』のスタイルが主流になっていきます。 次回はそのあたりから、お話を始めたいと思います。 そうさね… それは"ビバップ"。 魂の演奏を継いだ、ジャズの王たちの音楽が、流れ着く場所さね… だから演奏者たちは共に向かい そして、ジャズの意味を知るのさ… 次回!「人間性を捧げよ。」ジャズ亡者たちの対人バトル!ヤク中元気でチュウ!ビバップの巻 お楽しみに。
Comments are closed