技術でみる音楽史 part5 20世紀編
ウィィィィィィィィィッス!どうもーT.B.S.A.です。
ま、今日はー20世紀編ということですけれどもー、軽く前回のおさらいからいってみましょう。
前回のあらすじ:ドミナントモーション拡張しまくったり、転調しまくったら調性薄くなった 1曲の中で、いろんなところから部分的に拝借したり、あっちこっちいった結果、中心点がわからなくなっちゃったわけです。 で、今回はそのあとの時代のお話。 中心点がわからないなら、中心なくしちゃえばいいじゃない!編 調性が薄れていく中で、もっと自由に曲つくりたい!ということで、様々な実験的な音楽が誕生します。 調性に縛られない、囚われないということはドミナントモーションの否定、機能的な進行の放棄を意味します。 ノールール!なんでもあり! 自由に作ってよし!ただし調性を感じさせないこと。 そんな音楽のことを自由無調といいます。 しかしながら実際は聴いてみると、とっ散らかった印象、テキトーに作ったろ!という印象になってしまう…。 そんななかで、この時代の人々は様々な工夫をしました。 例えば、テキストの利用。つまりは歌詞のある曲のほうが聴く側にはわかりやすい!ということ。 実際インストものより、ヴォーカルもののほうが人気ありますよね。 てことで、シェーンベルクという人の『Pierrot lunaire (邦題:月に憑かれたピエロ)』を聴いてみましょう。 聴いてわかるとおり、これまでの回で例に挙げた曲に比べ、ぐっとわけわかんなくなったかと思います。 その印象は半分正解です。自由であるということはとても難しいことなのです。 ですが、こういう曲でなくては表現できないものというのは確実にあります。 例えばよく映画の怖いシーンなんかで無調の曲が使われたりします。 実際、先ほどの曲を聴いて怖いなと思った人もいるはずです。 これが調性のある音楽だと表現できないのです。 ドミナントモーション込みで怖い曲作ろうとしたことがあるのですが、怖くするのは本当に難しい…とその時は身に染みて感じましたね…。 さてさて。 そんな自由無調ですが、自由に書いていいぶん玉石混交というか、 ぶっちゃけテキトーにかいたものと見分けがつけづらい。 そう考えたのは、先ほどの曲の作曲者のシェーンベルクというおっさんでした。 シェーンベルクおじさんは無調の音楽にルールを設けようと考え始めました。 しかし、おっさんは悩みました。 「無調、無調ってなんだ…。」 前の時代、つまり調性のある時代。 調性とは中心の音があって、そこに向かう様々な力関係の音が存在する。 逆に言えば、12個の音のなかに力関係が存在するから、中心の音があるわけです。 シェーンベルクのおっさんは閃きました。 「せや!12個の音を全部均等な力関係にしたろ!!!」 というわけで12音技法が誕生します。 彡(^)(^)「せや!音を全部使ったろ!」12音技法編 というわけで、12音の力関係をすべて均等にすることで、中心点が存在しない=無調という技法が誕生します。 これが12音技法です。ここに来るまで長かった…! 詳しく、しかしサックリと12音技法について説明します。 先ほども書いたとおり12音すべて均等に扱おう、ということです。 その1:12音技法では12個すべての音を使います。 その2:申し訳ないが、ドミソとかソシレとかっていう並びかたは分散させた和音になっちゃうからNG その3:全部使ったらまた12個のすきなとこから始める。 例えば、ド→ソ→ファというメロディを作ったとします。 そうするとこの後の音は12個からこれ以外の音(ド#、レ、レ#、ミ、ファ#、ソ#、ラ、ラ#、シ)の中から選びます。 ためしにソ#を選んでみましょう。ド→ソ→ファ→ソ#となります。 そうしたら次はこの4つ以外の音から選びます。並びが分散和音にならないように気を付けつつ… そんな感じで12個全部使い切ったら12音全部使ったフレーズが1個出来上がるわけです。 これを何個も作ったり、このフレーズの音程を逆にしたりして曲を書いていきます。 ザックリとですが、こんな感じでできあがったこの技法が12音技法というわけです。 12音技法が使われている曲としては、ドラクエ4のデスピサロ戦なんかがわかりやすいです。 厳密な12音技法ではないかもしれませんが、メインのフレーズが12個全部の音を使うものですね。 現代音楽というとこれを思い浮かべる人もいるのではないかと思います。 というわけで少し話が逸れて、お次は現代音楽の話。 それって音楽か!? 現代音楽編 現代音楽というと変なもの、奇抜なものを思い浮かべる人が多いかと思います。 高いところからジョウロで水をこぼしたり、ティンパニ―に頭を突っ込んだり、ピアノの中に消しゴムをぶっこんだり…。 なんでそんなことするの!?という疑問に答えるため、その背景を説明します。 前述のとおり、前の時代の時点で音楽という鉱脈はほとんど掘りつくしてしまったのでした。 そこで出てきたのが無調…という話でしたね。 当然ながら、無調以外の方法でアプローチしようと考えた人たちがいました。 ひとつめは、楽器を改造して新しい音を出そう!と思った人たち。 ふたつめは、奏法を工夫して新しい音を出そう!と思った人たち。 みっつめは、目で見るものと耳で聞くものを融合させよう!と思った人たち。 わかりやすいのでひとつめから説明します。 楽器の改造 先ほどの文章にあった、ピアノの中に消しゴムをぶっこむ発想。これが楽器の改造にあたります。 ジョン・ケージという人が考え出した、『プリペアド・ピアノ』という楽器で、ピアノの弦の間にコインやら消しゴムやらをあらかじめ挟んでおいて演奏します。 あらかじめ用意しておくから、プリペアド(prepare …用意する、の意)。 これをやると……まあ、当然っちゃ当然ですが、変な音がします。 ビィン!みたいな。 何がいいたいかというと、既存の楽器から新しい音を出すという試みがこの楽器の改造なのです。 奏法の工夫 これに関しては、前の時代から行われてきました。 バイオリンの弦を、弓の毛のついた部分ではなく背中の木の部分で弾くとか、バチィン!という音がするほどめちゃくちゃ強く弦を指ではじくとか。 いろいろな奏法の工夫を凝らすうえで、ティンパニ―に頭を突っ込んで破壊する、という奏法が誕生したわけです。 これは後述の視覚との融合も大いに含まれてます。 視覚と聴覚の融合 これはちょっと説明が難しい。 前2つは新しい音を求めるという発想でしたが、これは視覚、つまりパフォーマンスを音と絡めるという発想です。 というのも、現代の我々としては音楽と映像の融合なんてのは動画サイトだったりプロモーションビデオだったりと、当たり前に享受しているので、イメージしづらいですが 昔は、音楽と映像は別物で、もっというなれば視覚的なものと聴覚的なものが合わさっているのはバレエなんかの舞台芸術の分野でした。 ですので、これは舞台芸術の延長…とも言えるわけです。 視覚的に面白いものと、聴覚的に面白いものを合わせるという発想のもと、 例えばラッパを口にくわえて吹きながら、両手はスティックでラッパをたたく…とか。 ようは、パフォーマンスを絡めていくわけですね。 前述のジョウロで水を垂らすやつなんかがこれに当たります。 ちなみに僕は昔、現代音楽の先生に「そういうのって会場で見ているとき、不意に笑っちゃったら失礼なんですか?」と聞いたところ、 「むしろ笑いをとりにいってたりするから全然アリ。」とのことでした。 さらに「こういう笑いっていうのは、理性じゃなく本能的なものなのでそういうのを狙いにいっているものは沢山あるよ。」と言われました。 ですので、直観的な感想…というのは大事なのだなぁと思います。 話は逸れましたが、無調や12音技法も含めて、これら共通するのは音楽の新しい方向性の模索という点です。 そういう意味では実験的で少し取っつきづらい…という部分もあると思いますが、 なんとなく、この一連の話を読んだことで、現代音楽への見方が変わるかもしれません。 というわけで、今回は現代音楽といわれるジャンルについて、かなりザックリ説明しました。 ほかにもミニマル音楽だとか、サティだとか、電子音楽だとかいろいろ派閥があるんですが、全部説明すると大変なので今回は割愛。 次回で取り扱うかどうかは…考え中です。 候補としては20世紀に入ったんで、少し調性音楽にもどってジャズ解説回が濃厚…かな? ということで今回は長くなってしまいました。 また次回をお楽しみに。
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